最近、自分でもはっきりわかるほど聞き返すことが増えている。
テレビの音量も間違いなく大きい。でもまだ大丈夫と思っていた、つい最近までは。
ひたひたと近寄ってくる「聞こえの問題」についてのお話です。
亡父の悲痛な声が、遠くなってきた耳にこだまする
20年前に他界した父は若いころから耳が遠く、加齢とともに症状が進んで、60代を過ぎてからは障碍者認定を受けていました。
父の口癖は「声の大きい人間に腹の黒い者はいない」—聞こえないと疑り深くなりがち、という昨今の説を考えあわせると、切なくなる言葉です。
そんな環境で育ったので私は小さいころから声が大きく、口をはっきり開けてしゃべる癖がついていて、学生時代からボリューム調節に苦慮してきました。
家の中ではそれが当たり前になっていましたが、社会に出て育ってきた価値観を問い直す機会が多く、人前で見当違いな返答をする父を笑ったことがあります。
「今はそうやってわらっていればいい。いつか自分を恥じるときが来るから」絞り出すような声が今になって胸に刺さります。
50代で10年早い耳の衰え。飛行機で鼓膜を痛めつける機会も多く…
50代になりテレビの音量がどんどん大きくなるのは自覚していました。
ちょうど夫の単身赴任先に飛行機で訪ねることが重なり、疲れもあって難聴気味なのを放置して飛行機に乗って、何日も水の中にいるような聞こえを放置したこともあって、耳鼻科を受診した時には年齢よりも10年も早い加齢と言われます。
遺伝もあるかと思った時に、亡父のことを思い出し、聞こえないことの孤独がやっと少しわかってきました。
聞こえが悪くなる、ということ|実際に経験するまでわからなかった
コロナで味覚に障害が出た時に、すぐには気づかず、食事をしていて頭が混乱したことがあります。「美味しかった記憶」があるので、いま起きていること(味がない)を理解するのに時間がかかりました。
耳が聞こえなくなるのもそれに似ています。
音は聞こえているはずなのに、これまでの経験から推測しても「いわれていることが理解できない」状態に脳が混乱するのです。
こうなると理不尽とわかっていても「わからない話し方をする人」に対する捻くれた気持ちがわき上がってきて、父の言葉がよみがえってきます。
目は疑り深い器官、耳は愛情を受け取る器官|脳科学者の言葉を思い出す

こまかいところまでは覚えていないのですが、脳科学者の養老孟司さんが目と耳の機能の違いについてこういう趣旨のことを仰っていました。
目から入る情報は疑うことが前提。耳からは人の感情や気持ちを穏やかにする情報がはいってくる。なので耳が弱ると目から入る情報が優先して疑い深くなる、と理解しています。
「声の大きい人間に腹の黒い者はいない」それは「聞こえない声で話す人は信用できない」という経験から導いた孤独な結論だったのでしょう。
聞こえが悪くても諦めずに気を付けていること
- 聞こえにくいことを周りの人に伝える
- 会話するときはなるべく正面で話す
- 聞き返すことをためらわない(心は消耗しますが)
- 会話や文字情報を併用する 疲れているときはムリに会話をしない
- 定期的に聞こえをチェックする
聞こえが悪いと伝えたうえでも横から小さい声で話しかけてくる相手には、敢えて聞き返さないと宣言もしています。自分の心を守りたいので…
もっと聞こえが悪くなったら…
聞こえはこれからも悪くなるのでしょう。
近視も老眼もひどい、アレルギーで鼻もあてにならない、耳も弱い。
五感のうち三つが機能しないなら触って、舐めて確かめる?なんて笑えない冗談も言いたくなるけど、明るい気持ちを持つ方法を考えてみましょう。
テレビには字幕があれば解決すると思われそうですが、水音、ため息、ドアが開く音etcまで文字化してほしいわけではありません。洋画を見る様に、邦画にもセリフだけの字幕があればと思います。
孤立すると認知機能が衰えるので、早めに補聴器を使うように、と養老先生は仰いますが、解決法はそれだけでしょうか。
最近読んだ本👇に、手話に加えてラインやメールでコミュニケーションをとる場面があり、まだこれから新しいツールがでて助けてくれるかもしれません。
心を癒す音楽は、骨伝導のスピーカーも試してみたいと思います。
あまり深刻になりすぎず、アンテナを高くして新しい方法を探していこうと思っています。

コメント